(株)中央公論新社

最終更新日: 2008/11/22 06:14:18

出版者情報

国別記号 4
出版社記号 12
出版者名 (株)中央公論新社 [Google] [Yahoo!] [Wikipedia] [Books.or.jp]
ヨミ チユウオウコウロンシンシヤ
url http://www.chuko.co.jp

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生命を捉えなおす―生きている状態とは何か (中公新書)

生命を捉えなおす―生きている状態とは何か (中公新書)
清水 博



(ISBN : 4121905032, 1990-10)


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微視的思考ではわからない生命の不思議

生命は、ミクロへとどんどん要素を還元しても、その実体はわからなくなるだけである。
そこで重要となるのは、個と個の関係性である。

筆者は、研究で得た「動的秩序を自立的に形成する関係子」を切り口にして、自ら情報を発し、情報をフィードバックする、という点を軸に、生命を論じていく。

これは1978年に書かれた本だそうだが、今読んでも色あせていない。
自己組織化、非線形科学、複雑系、SYNC現象、など最近の話題にもついていけるだろう。
増補で新しい(といっても1990年だが)知識も加えられている。

読んでソンはない本だろう。
(レビュー日:2007-09-19)

バイオホロニックスで読み解く生命系・・・

 清水博氏によると、生物の世界においては単独で活動するよりも、幾つかの異なるものが複合的なサイクルを作る方が、お互いがより高次な系に組み込まれていくことによって、さらに安定した共存的システムへと進化していくのだそうです。
 さらに清水氏は、自然界においては<個>と<全体>は互いにループで結ばれた階層構造をなしており、両者は構造的にも機能的にも分離することができないという考え方を土台にしながら、その階層構造の中に人間の社会や組織をも組み込んだ自然観を提示しようとしており、それをバイオホロニックスと呼んでいます。
 バイオホロニックスは生物の世界において<個>と<全体>がどのように調和しているのかを説明するものですが、同氏は要素還元論的な発想から<個>を捉えることはせず、「ホロン」=「関係子」という概念を使って「生きている自然のシステム」を解き明かそうとします。
 関係子とは従属子や独立子ではなく、自由な<個>でありながら、その自由選択性ゆえにシステム全体における秩序形成に自主的に参画し、<全体>を形作るものであり、そういう仕組みこそが生命システムであると清水氏は述べています。
(レビュー日:2006-06-12)

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))
木下 是雄

通常24時間以内に発送 (2008/11/22 06:14:18(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 735 (ISBN : 4121006240, 1981-01)


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希有の名著、実は理系文系両用

一昔前の代表的な推薦図書。しかしこれを凌ぐ著作は未だに現れない。レビュアはあるきっかけで本著に出会い、人生が変わったといっても過言でない。本著の要所が理解できればサラリーマンは、ちょっとした報告やプレゼンが見違える。そのエッセンスをあえてひとことでいうならば、結論先行の表現と事実と意見の区別。しかしそこに欧米との比較文化論や情報化社会におけるリテラシーや発進力につながる実に深い意味が潜んでいる。弟分のちくま文庫のほうがバランスはとれているが、本著は著者の勢いが捨てがたい。チャーチルの戦時での言葉から始める冒頭は印象が深い。著者は本著を理系用、弟を文系用としたが、今となっては全く関係ない。本著の後半が、学会のためのスライド作りを内容にしているためだろう。スライドは時代遅れだが、そこにある基本はパワーポイントでも同じこと。ただし、ここの実用性はやはり少し古びてしまった。しかしこの希有な著作の価値は、悲しい事に変わっていない。多くの職場や学校や役所で、ますます凡長な日本語が跋扈しているのだ。
(レビュー日:2008-08-01)

明確な目的意識をもつ

 作文技術論の本としては優れた本である。
 明確なる目的を持って作文を作ること。
 いかに読者に理解させるかに論点がおかれている。
 ただ、例題が難解なのがやや難点か。
(レビュー日:2008-06-29)

読んでおくべき本

他人が書いたレポートや報告書を読んで感想を求められたとき、「日本語がひどすぎてよく分からなかった」と言って、相手を傷つけてしまうことがある。言われたほうからすれば、「日本人なのに、日本語について非難されるなんて……」と思うのかもしれない。しかし、これは誤解だ。なぜなら、

 a)日本語で文章を書くことと、ただ日本語を話すこととは違うから、
 b)きちんと訓練をしないと、上手に文章を書けるようにはならない

からだ。

この本には、日本語できちんとした文章を書くために必要な技術が、あますところなく紹介されている。一度読めば、「書くこと」に対する考え方が変わると思う。
(レビュー日:2008-02-25)

述べられている内容と、本文が矛盾していない

類書は多いですが、この本の完成度は抜群です。

レビューのタイトルに挙げたとおり、述べられている内容と、著者自身の文章が矛盾していません。「分かりにくく書かれた作文技術」という冗談のような類書がありますが、この本は本当に分かりやすい。

書かれている内容は、きちんと「技術」として整理されています。心構えを並べたものではありません。

あえて難点を挙げれば、初版から30年近く経っているにも関わらず内容の改訂が無いことでしょうか。現代の文章作成は、コンピュータを利用してデータ・情報を集め、文書化するものですが、このスタイルについては述べられていません。読者自身による工夫が必要なところとして残されています。

(レビュー日:2008-02-20)

作文技術の「プロ」の本

→打ちのめされました
 読後感を例えて言うのなら
 イチローと対峙し
 100球投げた球を100球全部打ち返された
 「草野球の投手」の気持ちに
 似ているかもしれません..

→「文を作る」という技術が
 緻密に緻密に書かれています
 しかし、難解ではありません
 むしろ、簡潔に説明されています

→「文は短く」「主語は明確に」
 「能動態で」「誤解を生まないように」
 「事実と意見を混在させずに」
 「まぎれのない文を」..
 簡単なようで難しい
 これらの技術とその習得方法について
 徹底的にそぎ落とされた言葉で
 語られています

→イチローは言いました
 「難しいことを、簡単なように見せて出来ることがプロだ」と
 この線で言えば筆者は紛れもなく、
 「難しいことを、簡単なように説明できる作文技術のプロ」です!
 多くの野球ファンがイチローに憧れるように
 多くの読者が筆者に憧れることは間違いありません!!
(レビュー日:2007-12-27)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)
山岸 俊男

通常3〜4日以内に発送 (2008/11/22 06:14:19(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 798 (ISBN : 4121014790, 1999-06)


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糸井さんがオススメしていたので

糸井重里さんがインターネット的って本で紹介していたので読みました。
ちょっと難しいかなと思っていたのですが、意外にさらりと読める内容で、
特に、男女の差については、本質的な部分をついていて、30代でまだ未婚の自分には、
考えさせられるような。。。
兎に角、日本の心を取り戻すことからやろうかと思いました。
(レビュー日:2008-11-21)

信頼する人は損か?得か?

タイトルの『安心社会から信頼社会へ』をみると、一般論を重ねたビジ
ネス書の類のようにも見えるかもしれないが、本書は人々が取り結ぶ関
係性のパターン(構造)から(集団主義や個人主義のような)個人の行
動を説明しようとする学術的な試みである(後半の記述からすると、
一方的に説明されるのみならず、相互強化する関係であるらしい)。

社会的な不確実性の存在を縮減する仕組みとして、2つのやり方が提示さ
れる。ひとつめは、よくわからない人とは付き合わず、特定の信用でき
る相手とだけ付き合うというものである。もうひとつが、相手を見極め
る眼を磨いて、信用に足ると見定めて付き合う相手を決める方法である。
もちろんそれぞれに短所があって、前者は特定の相手とだけのつながり
になるので、もっと自分に利益をもたらしてくれる相手とのつながりが
犠牲になっているかもしれない。逆に後者では、相手を見極めるための
情報が足らなかったりして、見誤るかもしれない。

筆者は日本社会がもともと前者の方法で社会的な不確実性を縮減させて
いたにもかかわらず、だんだんと短所の部分が大きくなってきてしまっ
たという。これが「安心の崩壊」である。このような中で、不確実性を
縮減するためには、後者の方法へとシフトされなければならない。しか
し、先の短所がつきまとう。そこで筆者は見極めの材料となる情報をオー
プンにする仕組みづくりを提言している。


他者一般への信頼感の高い人/低い人にまつわる一般的なイメージと実
験によって導き出された結果のズレ。あるいは、2つの社会的知性とそれ
ぞれが適応的な社会環境(見ず知らずの人と関係が広がっていく可能性
の多寡による違い)との関連。上記までの内容を論証する際にこのような
点にも触れている。実験の対象者がほぼ学生に限られている点は実験の性
質上しょうがないことなのだろうが、実験結果を一般化して述べることが
本当にできるのか少し疑問が残るところもあった。ただ、そのような反論
が枝葉末節に思えるほど、説得力があった。

あと、2章で文化を「心の性質」としてとらえる見方と「社会のしくみの性
質」としてとらえる見方の違いについて述べている。例えば、日本人の集
団主義的と言われるような行動パターンを説明する際には、前者なら日本
人の心的側面に集団を志向するような性質を見出し、そこから説明するこ
とになる。それが、後者では、集団志向の行動パターンを誘引する相互監
視の仕組みがあるからだということになる。筆者は後者の立場にたってお
り、また社会科学の主流も後者だろう。よく「日本人は〜だから」という
ような言説を目にするが、その多くが「心の性質」として語っていると筆
者は指摘する。本書の内容から少し離れた部分だが、社会科学的な発想を
学ぶ上では役に立ちそうだ。
(レビュー日:2008-03-17)

安心VS信頼、ではないのでは?

山岸俊男さんの問題意識は、糸井重里氏との対談にあるように、米国の最新研究の成果をもって帰国して発表したら、日本の学会で無視された、という体験を踏まえて「日本の社会は(同質なもの同士で)安心していて、(異質なものの中から選別して)信頼していく力量に欠けている」というものですが、結論として、「日本社会は安心に安住してはいけないのであり、信頼社会に転換せよ」というメッセージには大いに違和感がありました。憤りはわかりますが、その問題の本質は、「自分の地位や利益を守るために学問的成果、理論的な正しさを無視しようとする集団エゴイズム」が学会に巣くっているという不満であり「安心」が悪いのではないと思うのです。問題は「安心VS信頼」ではなく「エゴイズムVS学問的成果を認める公共心」ではないかと思います。

ダニエルゴールマンの「SQ」を見るまでもなく、人間は、家庭内の安心という中で、他人への信頼や社会への適応力が育つ。職場も全く同じであり、安心してこそ、仕事に専念し成長を目指すことができるものです。それは心理学理論と実験成果でも明らかな事実です。

それなのに、山岸理論は、安心の構造を破壊することで、自立した個人としての「信頼の構造」ができると説く。これは危険で間違ったメッセージであると思います。ヘーゲルが、近代国家と自由な個人である国民の間に、企業などの中間組織・共同体があるべきであり、それなくしては、個人は孤独な疎外された存在となると警告しているように、山岸先生などのように「近代的個人」「自立した個人」を、理想化し夢想することは、企業や家庭などの共同体を破壊し現代人の疎外を深刻化させてしまうように思えてなりません。正しくは、家庭や企業や学会などの組織が「集団エゴイズム」に陥るのではなく、常に「公共的な使命」を追求することを忘れない、ことではないかと思うのですが…
(レビュー日:2007-12-25)

ふとしたキッカケで変わる何か

爆笑問題と著者が対談(?)している番組をたまたま目にし、
その時に本書を知りました。
本で紹介されている実験の多くは
番組内で実際に爆笑問題の2人が参加していました。

本の多くは実験の説明・考察・専門的見解で、
心理学的要素と テレビで見たときに著者の研究に感じた斬新さ
を求めた私にとっては、少々拍子抜けの本でした。

パソコンを買い換える時、
メーカーを前と同じものにしようと思ったり
家族が一番"信用"できると思ったり…。
自分や自分の周りを見渡すと、
「安心社会」に安住している人が
たくさんいると気づき、ハッとします。
自分や社会を大きく変えるというより、
ちょっと違う視点を持つキッカケにできたら
本に出会った価値は充分あると思います。
(レビュー日:2007-10-02)

”和”の正体とは!?

「日本人はお互いを信頼し合う”和”を大切にしてきたはず。昨今の不安な社会情勢は各人の心の乱れだ」と誰もが頷いてしまいそうなステレオタイプに対し、著者は「それは心過剰の文化理解にすぎない。社会的環境の変化に伴う人の行動誘因が変わったのであり当然の流れではないだろうか」と鋭く切り込んでいます。
つまり、固定集団内のみの”監視+安心”社会から、流動的集団における”不確実性+信頼”社会への移行時期であり、個々人が自分で考え、判断し、行動する創造的社会適用が大切である。そしてベースとして謂わば判断材料となる情報の透明性、開示がとても重要であると結論付けています。

本書は著者等による社会心理学の研究成果に基づいて議論されています。
調査・実験結果からの一般論への展開には尚早感はありますが、この点は著者も「更なる検討が必要」と認めています。人相手の社会心理学では観測により被験者自体が影響を受けてしまう一種の”不確定性原理”は宿命なのでしょう。

出版から8年程経っているのでその後の進展を追ってみようという気にさせてくれます。
(レビュー日:2007-06-15)

ノラや (中公文庫)

ノラや (中公文庫)
内田 百けん

通常3〜5週間以内に発送 (2008/11/22 06:14:19(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 760 (ISBN : 4122027845, 1997-01)


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随筆のタイトルからして魅力的

 以前、内田百鬼園の年表を見た際、いつノラを飼いだして、ノラが失踪したかということがきちんと書いてあって笑ったことがある。(ノラ失踪後の百鬼園の悲しみぶりは、黒澤明が映画「まあだだよ」でもメイン・エピソードとして描いている。役者もそっくりなので、見てない方は一度どうぞ。)

 僕にとっての百鬼園の随筆の魅力は、彼の人生の大部分を覆った借金苦や東京大空襲で焼き出された後の小屋住まいなど、決して順調に進んだ訳ではない日々の生活を、飄々と持ち前のユーモアでやり過ごしていくエピソードの数々にある。その分厚いユーモアの奥底には、何か得たいの知れない達観やシブトサさえ感じられるのだ。同時代の文学者が必ず書いた「女との恋愛」ではなく「猫への溺愛」を描く。東京大空襲には単に見物根性で最後まで付き合い、その見物記を本に纏める。(そこには戦後突然現れた反戦文学の要素など全く無い。)

 薄っぺらいヒューマニズムやロマンチシズムとは次元の違うその感性は、全く不良ぶってはいないのに、実は徹底的に「無頼」ですらある。(この本の解説で、吉田茂(!)と犬猫談義をやった際の話が紹介されるが、そのエピソードからは彼のドライな人間観が読み取れる。)でも、出来上がった随筆は非常に軽妙で、温かな「天然」の味が心地よい。そこが、僕に取っての彼の文章の魅力である。

 この随筆集はそんな彼が齢70を過ぎて溺愛した二匹の猫に対する思いを綴ったものであり、猫を失ってからの慟哭を綴ったものだ。

「ノラや」
「ノラやノラや」
「ノラに降る村しぐれ」
「ノラ未だ帰らず」

 タイトルを見るだけで、彼の猫に対する愛が伝わると思う。ノラとクルを巡るエピソードは百鬼園という不思議な文学者の一面しか見せてくれないはずなのだが、確かにその一面だけでも十分魅力的だ。読んだことのない方は、この本をきっかけに、是非他の文章も読んでみてください。
(レビュー日:2008-09-14)

泣けます

今まで読んだ本の中で一番泣けました。
出勤中の電車の中で読んでいたのですが、涙を抑えるのに必死でした。
少し文章が難しく、動物に興味がない人にはわからない気持ちかもしれませんが・・・。
泣かない夫も泣いたそうです。
(レビュー日:2007-10-28)

愛猫が行方不明!

その設定だけで泣けますが、それを見事な文学に昇華させました。
しかも、いつものちょっとひねくれたかんじもなく、素直に、ご自分がうろたえるさまを表しています。
それがまた、涙を誘います。
(レビュー日:2007-08-28)

猫の愛し方

いつのまにか一緒に暮らし始めた猫(ノラ)が、ある日突然消えてしまった。
そのたったひとつの出来事が、いかに大きな悲しみを生み、今日を変えてしまうか。
何をしていても、何処にいても、些細なきっかけで思い出し、涙が出る。
その繰り返しが延々と綴られています。
そしてその悲しみを癒すために現れたようなもう一匹の猫(クル)。

「ただ一つの心遣りは、帰つてこなくなったノラと違つて、してやり度いだけの事はみんなしてやつた。クルがしたがつた事はみなさせてやつた。」

この一節を読むだけでも、作者がどんなに真剣な愛情を注いだか想像できると思います。
「ノラや」「クルや」と呼びかける作者の声が聞こえてくる一冊。

(レビュー日:2005-11-05)

猫好き必見!!

大の男が、それもいい年をして、いなくなった猫を思い慟哭する。
傍から見ればおかしいと思うかもしれないが、同じ猫好きとして
その気持ちが痛いほど分かる。人目なんか気にしていられない。
猫が好きというのはそういうことなのだ。読んでいてもらい泣き
しそうになった。猫の描写もきめ細やかで、愛情に満ち溢れている。
ノラ、そして次に飼ったクルツ。作者とのほのぼのとしたふれ合いが
印象的だった。猫好きの人はぜひどうぞ♪
(レビュー日:2005-10-29)

アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ 291)

アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ 291)
飯山 雅史

通常24時間以内に発送 (2008/11/22 06:14:20(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 798 (ISBN : 4121502914, 2008-09)


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一筋縄では理解できないアメリカの宗教右派を分かりやすく解説してくれる


 アメリカ大統領選の年ということもあり、アメリカ政治を読み解くためのこの類いの書物が相次いで出版されているようです。本書は宗教がアメリカ政治をどう左右してきたかについて、時代を追ってつまびらかにしています。読売新聞の現役ジャーナリストだけに、その文章はいたずらに衒学的なものへと走ることなく、一般読者が無理なく理解できる平易なものとなっていて好感がもてます。

 表題には「宗教右派」とありますが、著者は現在のプロテスタントの教派を主流派、原理主義派、そして福音派に分類します。一般の日本人には原理主義派と福音派とが同列に見えるかもしれませんが、本書によれば、それぞれは純粋な信仰を目指して孤立を選んだ原理派と、孤立主義には踏み切れず社会と折り合いをつけて穏健路線を歩む福音派という具合に特徴づけられるといいます。一口に宗教右派といっても一枚岩ではないのですね。

 そして70年代に「行き過ぎたリベラル」に対抗する勢力として原理主義派が力をつけてきた時期もあるものの、近年は逆に「行き過ぎた原理主義派」に距離を置きたいと考える福音派が増えていることを本書は指摘しています。共和党の大統領候補ジョン・マケインを後押ししていたのは、ブッシュ時代のような原理主義派ではないということも本書を読むとよく理解できます。

 アメリカに暮らしているわけではない私のような読者にも、かの地の人々の宗教的メンタリティーが大変よくわかり、勉強になりました。

 いくつか最近のアメリカ政治関連書をご紹介しておきます。
 冷泉彰彦「民主党のアメリカ共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ 15)」
 渡辺将人「見えないアメリカ (講談社現代新書 1949)」
 町山智浩「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)」

(レビュー日:2008-11-08)

彼らは特殊な人々ではない

米大統領選では何で毎回毎回、中絶・同性愛などの社会価値が重視されるのか?
ほかの先進国には見られない宗教の突出ぶりが不思議だったが、その背景を独立戦争以前に遡って解説する。
ヨーロッパから入植した人は宗派ごとに固まり、独立時の東部13州は各州ごと"国教"があった。
政教分離は、連邦政府の権力者が自分の宗派を他の州に押し付けるのを防ぐためだった。
なかでも18〜19世紀の”大覚醒”運動が強烈だ。馬に乗った牧師が各植民地を巡回し、何万人もの大群衆を前に、吼え、わめく。もちろんマイクなしで!。信者は熱狂し陶酔した。
現在隆盛を誇るメガ・チャーチの源流がここにある。
共和党政権の黄昏と共に宗教右派も方向を見失い漂流しつつあるが、アメリカ人のDNAが健在な以上、いずれ再び団結し大統領選の帰趨を決める存在になるのではないか?
(レビュー日:2008-11-06)

非常に分かりやすいです

「あとがき」より抜粋。
「宗教右派について書かれた文章は、ほとんどが彼らを批判することに性急で、その「なぜ」についてはあまり掘り下げてこなかったように思う」

本書は、現ブッシュ政権下で大きな影響力を持ったアメリカの宗教右派について解説した本です。
著者は右派について肯定的でも否定的でもありません。
客観的なスタンスは読んでいて好感がもてました。

主としてアメリカ国民の4分の1を占めるという福音派について取り上げていますが、それと同時に、日本人から見ると何がどう違うのか分からないキリスト教プロテスタントの各宗派が、どのように成立し、アメリカという国の成り立ちにかかわってきたか、その過程にも触れています。
アメリカの政治と宗教については、複雑に入り組み、これ、というような簡単な答えの出ない問題ですが、本書ではかなり分かりやすく解説されています。

大統領選直前に読んだので、目からうろこがぼろぼろ落ちました。
攻撃的で、その言葉遣いは野卑にさえ思える右派指導者たちが、なぜそれほどまでに人々の支持を集め、影響力を持ちえるのか、すんなり納得がいきます。
(レビュー日:2008-11-03)

アメリカ政治における宗教要因のダイナミクスを描いた好著

16世紀の宗教改革から筆を起こし、2008年の大統領選挙まで、宗教がアメリカの政治にどのような影響を与えているのかを、非常にわかりやすい文章で、分析している好著。新聞を読んでいても「宗教右派」「原理主義」「福音派」など様々な用語が出てくるが、それが何を意味するのか、ということも、「なるほど」とわかった。宗教、二大政党の動き、経済の動き、人種問題、文化戦争など様々な要因が絡み合って、アメリカ政治における宗教の役割・重要性が大きく変動している(そして現在も)ダイナミクスを見事に描き出しているように思えました。アメリカにおける「リベラル」と「保守」の違い、モンキー裁判、日本とは異なった意味での「教科書検定」があり教育委員会委員選挙が重要なことなど日米の差異を平易な文章で記述している。アメリカ通の重鎮ジャーナリストによる優れた書物だと思います。
(レビュー日:2008-10-14)

米国史と連動する宗教右派の歴史

アメリカの本を読んでいると、メソジスト、パブチスト、長老派などアメリカでしか聞かないような教派がたくさん出てきて、日本人には何が違うのか良くわからないのだが、清教徒入植から起筆され通史的にアメリカ宗教史を解説した本書を読むと、比較的整理されて頭に入る。

ギングリッジやブッシュジュニアの過度ともいえるキリスト教福音派への支持から、宗教右派の勃興は最近の出来事のように感じるが、カトリックを除いてほとんどが原理主義的な入植者をルーツに持つ米国は、歴史的に何度か宗教右派の波があったことがわかる。何万人がライブのように熱狂的に説教を聴く、成人の4割が「ボーンアゲイン」したと答える、アメリカ独特の宗教スタイルは独立以前から確立されたものだ。しかし、中絶、同性愛の是非が政治課題になった70年代以降、宗教右派が政治に強く関与するようになり、波を打つように共和党支持になったというのは、それ以前と顕著に異なるという。60年以上にわたる、各教派の政党支持の傾向を表したグラフは非常に興味深い。また、同じ教派でも、主流派、福音派、黒人教会はぜんぜん別物というのもアメリカ独特だ。新興宗教で同じ名前なら、ひとつの権力しかないような気がするのだが、そのあたりがアメリカらしい。

新書ではなく、もっと厚くても読みがいはあったんじゃないかと思うが、内なるアメリカのダイナミズムを伝える好著。
(レビュー日:2008-10-02)

スカイ・クロラ (中公文庫)

スカイ・クロラ (中公文庫)
森 博嗣

通常24時間以内に発送 (2008/11/22 06:14:22(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 620 (ISBN : 4122044286, 2004-10)


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ミステリアスな『ファンタジー』

本書は所謂『ファンタジー』だ。
ミステリアスではあるが『ファンタジー』である以上『ミステリー』ではない。
いくつかの謎を散りばめているが読者にその解を想像することを拒んでいる。
『ファンタジー』という越えられぬ壁によって。

本書の文体は非常に美しい。
そう、これは耽美的な世界を楽しむ本である。
ひとつひとつの記号に特に意味は、伝えたい何かは無いと感じる。

何故キルドレ達は皆一様に空で戦い、死にたがるか?
そんなことををいちいち考えてはいけない。
なぜならこれは『ファンタジー』だからだ。

以上が私が本書とそのシリーズ全5冊(外伝のスカイ・イクリプス除く)を読んでの感想だ。
私はふと映画『ディア・ハンター』を思い出した。
そしてそれを評した故、淀川長治氏の言葉を思い出した。
無論そのことと本書は何の関連も無いが。
(レビュー日:2008-11-04)

表現したいものが表現しきれていないのでは?

評価が高いので期待して読んだが,まったくの期待はずれ.
近未来またはアナザーワールドを舞台にした戦争が背景にあるようだが,詳細はほとんど明かされない.真相を垣間見せるような演出もなく,会話を中心に淡々と話は進んでいくだけで,先を読みたい気持ちにさせてくれない.

主人公を初めとしたキャラクターたちのどことなく空虚な会話から,描きたかったことがなんとなくうかがい知ることができるが,十分表現できているとは言いがたい.
戦闘機乗りが主人公なのだから,飛行シーンくらいはカッコよく描いて欲しいものだが,稚拙なポエムでしか表現できないのが作者の筆力の限界なのだろう.

SF的モチーフにしても,軍人の苦悩にしても,戦闘機などメカニック的な要素にしても十分表現できておらず,主題となっているテーマが見えてこない.イライラ感だけが募る作品だ.
(レビュー日:2008-11-03)

生き方!


静かな激しさと、激しい静かさを感じました。生きることの明確さが彼らにはあり、かたくなにそう生きる事を望んでいる素敵な単純さが私は好きでした。

私はこの巻から読み始めましたが、こういう結末であることを知った上で読んだ後(前)四作品も面白く読むことができました。この結末を知ってからこそ!!と思える所もあったと思いますので私はスカイ・クロラから読んでよかったと思います。
(レビュー日:2008-10-02)

最終巻というのが真実でした。

出版順は、スカイ・クロラが最初に出たものなのです。
執筆者のブログに「スカイ・クロラ」が最終巻だということが明記されていました。
ただ、執筆者が出版順を敢えて最終巻から書いたというのは、スカイ・クロラから読むべきなのだろうかと執筆者のHPで見たところ、そういう質問が沢山あったようで。
回答は、「ナ・バ・ティア」から読むべきではとのこと。
理由は簡単。第一巻だから。
私は、出版順に&ここのレビューでスカイ・クロラは最終巻じゃない!!という言葉が大半を占めていたのでそれを信じました。
だからといって、後悔とかそういうのは一切ありません。
ナ・バ・ティアから読んでも、スカイ・クロラから読んでも、きっと最初に読んだものに戻ってしまう気がします。
(ただ、私は映画を最初に見たので・・・その後原作を読んでます)
シリーズを通して読むと、よくよく味が出てくるお話で中々理解が難しいです。
それでも、引き込まれてしまうのです。
あれ?あれれ??って。
どんどん引き込まれて世界に飲まれて締め付けられて抜け出せない。
全部読んでも、抜け出せないんです。
どんどん、もがけばもがくほど(読み込めば読み込むほど)渦が増えていきます。
それでも、その感覚がたまらなく好きです。
本当に、空に飛んでいるような、空を飛んでいる気分になれる。
心を空に飛ばせる。
それが、感じられました。
素敵な作品です。
読み手にかなりの自由を与えられている分難しいけど
まさに、雲をつかむようなそんな物語ではないでしょうか?
つかめそうでつかめない
追いつけそうで追いつけない
そんな、作品です。
スカッとした物語ではないので、ゆったりと世界を浸ることができるそんな方にお勧めです。

(レビュー日:2008-09-29)

解説を少しだけ,小説を読んだだけですが

  航空機は、空気の中を滑りながら飛んでいる。車の走行とは明らかに異なる。トラクターやプッシャー。前者は翼の前にプロペラがあり機体を引く。後者は先尾翼となりプロペラが機体を押す。=散香の特性が分かるだろうか。かつて私も戦闘機の仕事をしていた。

 エルロン(主翼の外側にある舵)は機体を左右にひねる。=ロールを打つ。
 ラダー(垂直尾翼の舵)は機体を左右に振る。=ロールを打つ方向へラダーをあてれば急降下に入る。
 エレベータ(垂平尾翼の舵)は機体を上下に振る。=エレベータを引けば機体は上を向き、それまでの速度エネルギーが高度という位置エネルギーに置き換わる。そのままの姿勢で推力(速度エネルギー)がなくなれば失速となり、逆にこれを利用して滑りながらターンを打つ。
 フラップ(主翼内側の舵面)は、低速時の揚力を稼ぐ、もしくは高速時において速度エネルギーを揚力エネルギーに変えて、結果としてブレーキの役割をなす。
 これらの舵と重力や遠心力の立体的な組み合わせ。  
 こうしたハード面。普通の人に分かるわけがないのだが、本小説にはほとんど解説がない。

 また、キルドレ達の少し変わった内面。記憶がないか、まるで植えつけられたかのような記憶の断片。シリーズにおけるパラレルな記憶、そして生死感。クローンの暗示か。主人公の一人称は総て「僕」。こうしたソフトの面
 ハードとソフトの両面が分からないと、全くつまらない話。多分☆2つ以下の価値。

 しかし、その両面が理解できた瞬間、彼らが空戦することを「踊る」「美しく踊りたい」という「本当の意味」を知る。
 散香(サンカ)を飛ばす水素(スイト)は酸化水素、つまり水となり大空に溶け込む。
 そして、クレィドゥ・ザ・スカイのエンディング。ブーメランの意味。キルドレ達の連鎖。正に「メビウスの輪」が出来上がる。

追記 これが森氏のテーゼではないとするコメントがあったが、同氏の「トロイの木馬」は同様のテーゼが流れていると思う。

(レビュー日:2008-09-05)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
スコット フィッツジェラルド; 村上春樹;

通常24時間以内に発送 (2008/11/22 06:14:22(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 861 (ISBN : 4124035047, 2006-11)


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その頃の実話のような雰囲気

衝撃的でドラマティックな展開があるわけではないが、とてもリアルな展開とキャラクターの人間臭ささがあるため、読後数ヶ月経った今も妙に生々しく記憶に残っている。あらゆる面で空虚に満ち、心情によって変化する情景は文学的。
ギャツビーが纏ったあの要素は誰しも投影できるモノだが、彼はとてもスマートで本物以上に魅力を放ちセクシーだった。

それにしても村上氏の翻訳は素晴らしく、ウッカリすると翻訳本ということを忘れてしまう程、紡いだ作品を丁寧に織り直している。
(レビュー日:2008-11-13)

「男は初恋の女性を忘れられない」という「普遍的事実」について

村上春樹の新訳による十数年ぶりの再読。私は彼の翻訳を必ずしも好まないが、この作品は満を持しての出版だけに、日本語としてよく練られ、大変優れていると思う。

「男はなぜ初恋の女性を忘れられないのか」ということが方々で論じられるほど、これは普遍的事実であるらしい。一方で、かなり理知的な判断のできる女性が、そういうことを「気持ち悪い」と表現したのを聞いた経験がある。左様に、この件についての男女差は大きいのかと思う。環境の違いであるのか、生得の資質の差なのか。私は後者の可能性を考える。これは要するに「過去」と「現在」との相克であり、種の保存について女性の方が必然的に現実的たらねばならないという事情があるように思えるのである。儚い過去よりも現実の、眼前の男性の方が、子孫を残すには有効であるからだ。

ギャツビーは結局「過去」に殉じたのである。思い出の女性は年老いることもなく、よき記憶のみが時とともにより美しく輝きを増し、当の女性さえ支えきれない虚像となって、ギャツビーの心を支配したのである。デイジーは当たり前の女性として「現在」を選んだに過ぎない。

男性にとってこの作品は、限りなく切なく美しい。しかし、女性にとってはどうなのだろう。「気持ち悪い」作品でなければいいが、と思う。
(レビュー日:2008-09-28)

愛する女性を捨てるのか、取り戻すのか、最後には何も残っていない。

私は、村上訳シリーズ(?)を読みました。出版順ではなくて
「ロング・グッドバイ」「ティファニーで朝食を」に続いて三冊目です。

フィッツジェラルドを初めて読むわたしにとって、彼特有の秀逸な言い回しに
慣れず、リズムに乗れなくて、前半は読むのがきつく感じられました。
しかし、中盤以降は一気に読み終えることができました。文章への慣れもありま
すが、それ以上に、主人公同様に、ギャッツビーという人に引き込まれたからだ
と思います。現代風に言えば、ストーカーと目されてもしかたのないギャッツビー
には、どこか現代にも通じる人間の縮図を感じました。

ふと、村上氏が「ロング・グッドバイ」のあとがきで、「著者はこの小説を書く
に当たって、フィッツジェラルドの<グレート・ギャッツビー>のことが脳裏に
あったのではないか」といった内容のことを書かれていることを思い出しました。

ロング・グッドバイのラストで、テリー・レノックスが自分の左胸を指して、か
つてここにはたしかに何かあったんだ(でもいまは何もない)と言うのですが、
それと同様に、ギャッツビーにも、かつて何かがあったはずんです。今は失って
しまった何かが。

前者は愛する女を捨てて金持ちになり、後者は愛する女を取り戻すために金持ちに
なります。いずれも裏街道と手を組んで、何かを捨てているところは同じです。
(レビュー日:2008-09-17)

色鮮やかな描写

すごい、これ。
わたしの大好きな「ノルウェイの森」の中で、名前だけ出てきた小説の訳本。
村上春樹さんの熱い思い入れが、ひしひしと伝わってきました。とっても。
あまりにも「完成された」英文を、その美しい文章の風味と、意味を損なわずに異なる言語に移し変えるというのは、至難の技だったと思います。
この翻訳を決行できるようになるまでに、20年もの歳月を必要としたとのことで、村上先生にとっては、すごく意味のある重要な仕事だったようです。
そのおかげか、この小説の魅力を余すことなく堪能することができる訳本に仕上がっています。
独特の表現も良かった。
繊細な描写でもクリアカットに表現されるのではなく、なんの脈絡もなく暗示的、多義的な言葉が綴られていたりするけれど、そこに読み手が介入するスペースがあり、想像力を大いに刺激されます。だから、細部を丁寧に感じ取ることができるというか、感覚的に読み取ることができて、印象として後まで残り易いのだと思います。
まるで一本の映画を観たかのように、各シーンが色鮮やかに蘇ってきます。
人物の描写も生き生きしていて、セリフの流れをみても細部に拘りを感じました。リズムをつけ、素敵なメロディのように流れていく。シーンごとに、大きく音色が変っていくけれど。
皆、この本の中で生きているのだと思う。

でも、こんな恋ってあるだろうか?
ギャツビーは、デイジーへの愛を貫く為だけに生きてきたようなもの。
そのために、どんな方法をとったにしても。
なんて純粋な、そして、なんて哀しい恋なのだろう、、、。

そのうち、原文でも読んでみたいです。
(レビュー日:2008-09-13)

現代の語り口にするにはちょっと無理があるかな。

なにしろ80年前の小説です。村上さんはよく「翻訳の賞味期限」をいい、現代語で訳文を書くことに努力され、本書も、たとえば会話で語り手が相槌をうつ場合「そうなんだ」と訳す箇所がありますが肯定文なのか相槌なのか分かりにくかったりします。わたしには大貫訳の方が1920年代風でしっくりきます。もっとも、新たに翻訳するということは、すなわち現代風の言葉使いにするということなのでしょうけど。うーん、村上さんの翻訳は、カポーティとカーヴァーがもっともマッチしていると思いますし、好きです。サリンジャーのケースも村上訳としてはあまり評価できなにのですが、やはり、原作の年代がもっと新しい方が読んでいて違和感を感じません。
(レビュー日:2008-06-28)

クレィドゥ・ザ・スカイ (中公文庫 も 25-7)

クレィドゥ・ザ・スカイ (中公文庫 も 25-7)
森 博嗣

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¥ 680 (ISBN : 4122050154, 2008-04)


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もう一度「スカイ・クロラ」から…

シリーズ最終巻。といっても、時系列は「スカイ・クロラ」が最後なのですが。

…「僕」って誰?
この本はそれにつきる…とまでは言いませんが、まさか最後の最後でこんなに悩まされる
ことになるとは思いませんでした。もはやミステリです。
もう一度、「スカイ・クロラ」から読み直せざるをえないじゃないですか!
喜んで。
何ていうか、森博嗣さんの術中にはめられたなって感じです。

気持ち悪さなんて微塵も残りません。
ただ空を飛ぶことを望む主人公の姿の、なんと純粋で、儚いことか。
そんなどこまでも澄みきって、読者までも夢の中にいるかのような錯覚を起こさせる
作品なのに、読了後の興奮は醒めません。

ぜひ、「スカイ・クロラ」から読むことをお勧めします。
そしてこの「クレイドゥ・ザ・スカイ」の、最後の一言の余韻を楽しんでください。
(レビュー日:2008-10-03)

主人公は誰かという、ミステリー小説だった

前巻までは、一人称視点の語り口に、ミステリーで培われたと思われる情報の抑制が効いていて、絶妙な小説だと思っていました。しかし、この巻では主人公「僕」は誰?ということに読者の関心が向くようになっており、まさに犯人捜しをするミステリー小説のようになっています。

私は、ミステリー小説を読むと、読者を誘導しようとする姑息な作者の姿が見えてきて楽しめないたちなので、他の巻では感じなかった不満を感じながら読むことになりました。そういった点で、すこしこの巻は毛並みが違います。
最後に主人公は明かされますが、どうとでも取れるようなもので、それまたもどかしい。

でも、クサナギとカンナミの関係が示唆されたり、物語の時系列的に次のスカイ・クロラでの登場人物の気持ちを推察したりと、最初に戻って読み返したいという気持ちが起きますので、シリーズ中で必須の巻と言えるでしょう。
(レビュー日:2008-09-20)

どういうこと?先がきになる・・・!!絶対続き読みますからっ!!

思うに私の感想って、本当に自分の気持ちの感想文です。初めて本を手にする人に参考にはならないでしょうね(笑)読んだ人には理解してもらえ得るのかと・・・。あなたはそう感じたんだ・・と。おっと、ムダ話!!失礼しました。この本は本当に「どういうこと?」主人公は「誰?」僕は・・・って語られる主人公が本当にだれなのか・・終い近くまでわからず・・・・やっとわかったと思ったら、エピローグでまた「どういうこと???」なんとなくわかるけど、どうしてなのか・・絶対続き読まないといけません。逝けないんです。精神的な意味でも快感的な意味でも、すっきりしてイキたいんです。イっちゃいたいんです。この続き・・文庫本が出たら絶対読みます。もう、ハードカバーでは発行されてるんで文庫化まちです。最後にこの森さんって作家すごくね??

(レビュー日:2008-08-04)

フラッタ・リンツ・ライフ (中公文庫 (も25-5))

フラッタ・リンツ・ライフ (中公文庫 (も25-5))
森 博嗣

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¥ 680 (ISBN : 4122049369, 2007-11)


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ミステリーです。

私だけか??ミステリーだと思うのは。いつも、読み始めてしばらく経つまで、主人公が誰だかわからない・・。これって私の解読力がないから?って戸惑ってましたけど、これが「わざと」かかれてるんだよね??と思いました。いやはやもうこの本を読んでる頃には、このシリーズにはまっていて、特に哲学的な思考っていうのかな?主人公の回想とでもいいますか?そこが、読んでて潔くてきれいと感じました。いつ死んでもいい・・というかその覚悟ができている戦闘機乗りの思考・・・。なるほど・・と。この本を読んで、本当にあ・・・これってミステリーなんだね??と思いました。興味深いです。この映画のアニメのイラストがさわやかでかわいらしい表紙ですが、いやいや・・・深いです。
(レビュー日:2008-08-04)

この話が一番好きです。

このシリーズの中では、この本の主人公だけが何にも囚われていない、すべての関心が、ただ飛行機と空にだけ向けられていると思います。
だから読んでいて、とても気持ちがいい。
他の4冊は幾分主人公が他に関心や執着を持っている感じがするのです。
この本の主人公は自分の周囲で起こる、自分を含めた出来事をあるがままに受け入れるだけ。
抗いもしない。疑問も持たない。
これってある種、究極の生き方のような気がします。

(レビュー日:2008-03-09)

ナ・バ・テア (中公文庫)

ナ・バ・テア (中公文庫)
森 博嗣

通常24時間以内に発送 (2008/11/22 06:14:22(日本時間)時点 -詳細はこちら-)

¥ 680 (ISBN : 4122046092, 2005-11)


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空は無意味の色

 スカイ・クロラから時間をさかのぼったクサナギスイトの物語。
 空は幾分、死に近い。空戦はゲームに似ていて、死はキルドレにとって単なるゲームオーバーだ。爆音も、手に残る衝撃も、Gも匂いも吐き気も、事実ではあるが生々しさには遠い。
 キルドレたちは生や現実に感情を吐き出さない。
 子どもにとって、死は近い。まだ生の実感から遠いからだ。普通の子どもはだから死をひどく恐れる。キルドレにとっては、死も生も同じ無関心さの先にある。
 ならば何故、ティーチャは飛ぶ?ふたたびチータに戻って黒猫マークを描いた敵機に、クサナギスイトは意味より先に親近感を抱く。
(レビュー日:2008-08-18)

『キルドレ』と『大人』と『子供』

『ナ・バ・テア』を読んでいて、途端にあることが判らなくなった。

彼らが言うところの、「大人」や「子供」とは何だろうか。何年ぶりかに会った親族に言われた「大人になったね。」という言葉みたいに、それは自分を子供とみて発したものなのか、額面どおり大人に発したものなのか、考えてみると判然としない。そんなどこか飲み込み難い違和感を、同じように、本作中の「大人」と「子供」という言葉にも覚えた。

原因は、おそらく「キルドレ」という概念にあるのだと思う。しかし、何を拒めば子供のままでいられるのか、何を受け入れれば大人になれるのか、現実世界でもそんなにはっきりとしたものだろうか。

「あの人は大人だ。」とか「お前は、まだ子供だな。」といった言葉を聞くたびに、そうだよな、と一旦は飲み込むものの、何を基準にそう判断しているのかは判らない。

メディアで、「働かない20代・30代」や「罪を犯した20代・30代」のことを、「いつまでも子供のままだ。」と言ったり、「ゲーム世代」とか言うことで非難する「自称大人」は、ただ単に、自分とは違う存在とみなしたいがゆえに、あまりに安易に「子供」という言葉を使ってはいないか。

「無責任な大人」と「責任感のある子供」に決定的な違いがあるとすれば、それは年齢でしかないのではないか。「無責任な大人」を「子供」とみなすことで自分の世界から排除する「自称大人」は、明確に「大人」と割り切れるものなど存在しないということを認めることで、罪を犯す者もまた、自分と同じ存在であると認めることになるということを恐れているのかもしれない。

果たして、「大人」と「子供」の境界線が曖昧になったところで、いま一度『ナ・バ・テア』を読むとき、草薙が拒む大人とは何か、子供のままでいるとはどういうことか、新しい視点が生まれるはずである。

この本を読む人は、作者の仕掛けた罠によって、一度自分の内にある先入観に囚われる。しかし、先に述べた新たな視点で、もう一度これを読み返すことで、その罠から解放されるだろう。しかし、その「解放」もまた作者の仕掛けた罠なのかもしれない。

「解放・開放」された先には、「孤独」が待っているかもしれない。それは、草薙にも、死んでいった人間(キルドレ)にも当て嵌まる。『ナ・バ・テア』。題名に込められた意味を考えたとき、ふと、得体の知れない感情が産まれた気がした。
(レビュー日:2008-08-09)

エンジンがかかってきた!!私は森さんを知れてよかった。

スカイ・クロラを読んだときは、くじけそうだった・・・。でも、このナ・バ・テアは、読んでいて私も一緒に空を飛んでる気分に慣れたし、主人公の感覚に好感がもてました。
でも、ずいぶん読み進めるまでは、この主人公は一体だれ????って非常にわかりませんでした。「ところでこれは一体誰??」と思いながらいい意味のモチベーションで読み進められました。この本を読んだから絶対続きよんじゃいますよね!!
(レビュー日:2008-08-04)

クサナギの謎 - 恋

「スカイ・クロラ」の続編であるが、時は「スカイ・クロラ」よりちょっと前。
草薙水素(クサナギスイト)の恋愛について描かれる。

恋愛といっても、彼らは企業に作られた戦闘人間。
空を飛び、殺し合い、仲間を失っても涙ひとつ見せることもなく毎日を淡々と
過ごすキルドレ。

記憶も人格も食事も少ない会話も普通の人間と同じようであるが、街にいる普
通の同年代の少年少女たちとは明らかに違う。
毎日毎日を淡々と過ごし、飛行技師、憧れのティーチャ、死に行く仲間、戦闘、
食事・・・
淡白な日常が少しずつ変化していく、それはクサナギの心境なのか、人の死か
らなのか。

早く次が知りたい、、、森博嗣の独特な文体に引き込まれ、一気に読んでしま
いました。詩のようでありながら、情景がはっきり目に浮かぶ。

個人的には「スカイ・クロラ」の方がちょっとだけ上かな、と思ってしまう。
(レビュー日:2007-11-06)

深紅に燃える

2004年6月25日リリース。『スカイ・クロラ』以前、草薙水素の謎の過去がストーリーの中心である。『スカイ・クロラ』に始まるシリーズは『ナ・バ・テア』、『ダウン・ツ・ヘブン』と続きWEB日記によれば後2冊続刊を出すようだ。まもなく登場するであろう新作短編集『レタス・フライ』もこの手のネーミングで成立していて、『Let Us Fly』を忠実に日本語表記していると言うつもりなのだろう。その辺が変に古式ゆかしく不可思議でもある。最後を伸ばさない英語表記も進んでいたが、今回はもっと原語に近づいているのだろう。
読了してまず思ったのは、『スカイ・クロラ』や『ナ・バ・テア』をもし戦中派(こういう言葉も死語になりつつあるな(●^o^●))の飛行機乗りたちが読んだらどう感じるだろう、ということだった。森博嗣の放つ文章は実に詩的で、実に立体的だ。激しく揺れるその展開の速さにまるで自分が草薙水素の隣にいるような気がしてくる。『死』と隣り合いながら生きた『遅れなかった青年たち』の見た風景とそれは似ているのだろうか。

文庫版はあとがきのよしもとばなな氏のコメントが秀逸。幸せな一冊だ。
(レビュー日:2005-11-26)


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