「フェルマーの最終定理」が面白かったので 本書を自然に手にとる機会を得た。相変わらず 科学を小説のように語る著者の語り口は健在であり ぐいぐい読ませる。科学に必要なのは こういう「語り部」なのであろうと感心させられた。
読んでいて一番感じたのは 現代こそが暗号の時代であるという点だ。
本書の通り 暗号は 主に戦争で必要とされてきた。言葉通り「武器」の一つとしての暗号という時代が長く 本書が取り上げる暗号の歴史は 戦争の歴史となっている。実際 本書で取り上げている暗号の歴史を見ていると 人間が戦争を「情報戦争」にしていった様がはっきりとしており 大変勉強になった。
その上で 21世紀の現代こそが「暗号の時代」であると言いたい。
考えていると いつのまにか僕らは「パスワード」という暗号を日常で使う日々となっている。ネットを通じた「仮想空間」へのアクセスには 自分で決めた「暗号」であるパスワードが不可欠であるし アクセス中のやりとりもすべて「暗号化」されている。僕らはそんな「暗号」が無ければ 日常生活にすら支障を欠く程になってしまっているのではないだろうか。
「暗号」とは 自分がやりとりする個人情報が 「他人の目や耳にふれるルート」をたどる際に必要なのだと思う。
ということは 現代の特徴とは「他人の目や耳にふれるルート」の飛躍的な増大にあるのではないかということだ。その代表格であるインターネットの社会のインフラ化こそが 暗号の需要の最大原因だと僕は思う。
昔は(そうして今もだが)「親展」とスタンプの押してある封書は 受取人以外には開かなかったものだ。ある意味で これは人間のモラルが健全に機能してきた証左だと思うのだが 今 ネット世界で見えてくる人間のグロテスクな一面は そんなモラルを否定している。
匿名という隠れ蓑があれば(そうしてそんな隠れ蓑も暗号で担保されているわけだが)人は「親展」と書いてある封書も平気で明けるようになった。なぜなら 自分が開けたと誰にも分らないから。
そうなると 「親展」のスタンプも 暗号がなければ開けないスタンプにしなくてはならないし さらに封書の中身も暗号にしなくてはならない。それが 現在のコミュニケーションであり それを通じて見えてくる人間の様相なのだ。
暗号は人間臭い。それがはっきりしたことが本書を読んで勉強になった点だ。
(レビュー日:2008-05-29)