丹生谷貴志の村上春樹讃に対しては「お話の登場人物と作者を一緒くたにすんなよ(アンタほどの人が)」。福田和也の石原慎太郎讃には「この時代錯誤なヘタクソのどこが世界文学かよ」。加藤典洋には「出鱈目言うんじゃない」。斉藤環には「精神科の臨床じゃないんだから、ヌルいことばっか言ってんじゃねぇよ」。井上ひさし・丸谷才一には「このセクシストどもめ」。中原昌也には「ベケット、ロブ=グリエまでは100哩」。高橋源一郎の屈折した辻仁成讃に「テキトーなこと言うな、恥を知れ」。島田雅彦・星野智幸には「お行儀が良過ぎるんじゃない?」。
要するに「メルトダウンする文学」へのそういった罵詈雑言が、言葉が言葉を招び寄せひたすら増殖するような文章で綴られている(渡部を批判したスガ秀実への手紙だけは、「キミのこと大事な友達だって思ってるよ」って感じかな)。渡部は気質的にも方法的にも言葉に淫するタイプの批評家だが、本書では運筆愛・打鍵愛とでも呼びたくなるほど快感原則に身を委ねていると思う。罵倒するって気持ちが昂揚して、楽しいんですね。
とは言え、失礼だけど、やっぱり蓮實エピゴーネンなんですよね。渡部が貶す作家も褒める作家も、またその評価基準も、概ね蓮實重彦が設定する土俵の中に収まってしまう。よしそれが結果論だったとしても、渡部の文体が漂わすB級感が渡部を「従」の位置に置いてしまう(ニセ男爵・蓮實がホントに「主」か、という問題はあれ…)。記号式モドキを持ち出して演出されるイカガワシサも、読めば読めてしまう分かりやすさ故かラカン的な誘惑性には手が届かず、チープな印象を漂わす。罵詈雑言を撒き散らす芸においても、蓮實との応接においても、金井美恵子並みの筆捌きが欲しかったところ。
(レビュー日:2006-02-07)